昔の人間の昔話(2)
ヘルメットは鎧球の象徴なり by Fresh Down
?
鎧球・・・アメリカン・フットボールは日本語ではこう表現されるそうだが、これはいかめしい防具を装備することから名付けられたものと思わる。確かに肩を怒らせた様な姿からは「鎧球」と言う名称は相応しいと言うことが出来るが、経験者としてはヘルメットこそフットボールの魂ではないかと思えるのだが・・・とは言っても「兜球」では様にならないので、「鎧球」と言う名称は残しておいて欲しいものである。
プロボウルでもユニフォームは両軍で統一されているが、ヘルメットだけは各チームのデザインのままで出場している。これは試合に際しては合同チームの構成員となっても、その精神は本来のチームに帰すと言うことであろうか。実戦ではヘルメットまで同一デザインで行ったことは無いだろうが、そんな試合があったらなんだか興ざめになってしまうような気がする。各チームのヘルメットが入り乱れてこそ、プロボウルなのである。
さて、ボールが不足していた部の創設期、当然のことながらヘルメットだって十分にあるわけではない。一応1年生にも全員行きわたっていたと思うが、大きさが全て合っていたかどうかまでは覚えていない。まあ大きいものならば頭は入るので、多少のガタはタオルでも巻いて被れば防ぐことが出来る。サイズが合いませんと言って拒否するのではなく、頭を使えば頭を守ることが出来るのである。
メーカーは殆どがリッデルだと思ったが、いわゆる「吊り天」と呼ばれるヘルメットが主流であったと記憶している。あるいは内部全面にパッドを敷き詰めたものだったかもしれないが、卒業後社会人チームでプレーした時のヘルメットが吊り天なので、学生時代も吊り天だったものと思われる。
吊り天の頭頂部は工事現場等でよく見られるヘルメットと同じような構造になっているのだが、下部では弾力のあるパッドを広範囲に亘って頭に密着させ、横からの衝撃を吸収すると言う仕組みである。「吊り天」部分は紐の調整によって多少被る深さを変えられたようだが、面倒くさいのでそれを利用した記憶は無い。
その後頭頂部の「吊り天」部分にもパッドを敷き詰めたり、更に液体を小さな穴から移動させて衝撃を吸収すると言う複雑な物も作られたようだが、使ったことがないので昔の物と比較することは出来ない。ネット検索によれば現在の主流となっているのは、中のパッドとヘルメット本体との間に調整可能な空気層を設け、パッドを頭に密着させるとともに衝撃の吸収も図ると言う方式のものらしい。昔のようなタオルでの調整よりは便利で効果があるかもしれないが、その分価格は高いものになっているのだろう。
フェイスマスクはプラスチック製のいわゆる「2本歯」が主流であり、全面を着けることが出来たのは有力校でもあまりいなかったと思う。今の人から見れば不安を感じるかもしれないが、当時の人間にしてみれば何でもないことであった。時には腕などが入って痛い思いをしたこともあったが、「フットボールに怪我は付き物」と言う考えが主流の時代であり、不安を感じることは全くなかった。
社会人チームに入ってからも、とは言っても広島市を中心に中学生から40代の人間までが集まった楽しいリーグであったが、やはり2本歯のままでプレーしていた。現在の社会人リーグのような本格的なチームではないので当りは弱く、学生時代同様2本歯でも全く不安は感じなかった。横須賀に転勤となってからバック用の全面を着けてみたが、思ったよりも重いので驚いた思い出がある。
当時のヘルメット本体の材質が現在の物と同じかどうかは分からないが、激しい当たりを何度も繰り返せば破損するのはごく自然な成り行きである。一番壊れ易かったのはこめかみの辺りだったと思うが、ボール同様容易に手に入るものではないから、少しくらいの亀裂では貴重なヘルメットを破棄することは無かった。亀裂の両側に小さな穴を開け、丈夫な紐でしっかりと縛っておけばまだまだ使うことが出来たのである。ボールが妊娠ボールだとすれば、さしずめこちらはフランケン・ヘルメットと言ったところだろうか。
このような応急修理をしたヘルメットが試合での使用を禁止されていたかどうかは知らないが、試合に出る上級生のヘルメットについては、交代要員を含めて正規のヘルメットで賄えるだけの数はあったことと思う。しかしこのように修理したヘルメットが直ぐに壊れたと言うことは無かったから、試合でも十分に使用可能な強度は持っていたのではないかと思われる。穴の間隔が狭すぎると本体の強度が弱くなって危険だが、適当な間隔で縛っておけば紐の状態で使用可能かどうかの判断をすることが出来る。
それにしてもラインメンがこのようなフランケン・ヘルメットを装着して目の前で睨みをきかせたら、相手をヒビらせる効果があったかどうかは・・・不明である。
部の創設当時は、ゲバ棒を振り回して騒ぎ立てる学生運動が華やかなりし時でもあった。幸い我が大学は都心から離れているので直接的な影響は無かったのだが、試合の場合には大抵新宿まで出てから各方面に向かうことになる。
現在ではどうだか知らないが、その当時は1年生は上級生の防具を一緒に持って行くのが常であった。米軍払い下げのような濃緑色の頭陀袋に二人分の防具やユニフォームを詰め込むと、大きな袋ではあるがヘルメットを入れるだけの余裕はなかった。その結果ヘルメットは袋の外にむき出しでくくりつけて担ぐことになるのだが、交番や警戒中の施設の前を通ると警察官に睨まれることになる。今でこそテレビ中継やアニメ番組等でフットボールの知名度も上がってきたが、その当時はアメリカン・フットボールを知っている人間は極僅かしかいなかった時代であった。だから警官がフットボールのヘルメットと全学連等のヘルメットとの区別がつかなかったとしても、それは当然のことでもあったのである。
警察官が明らかに不審な顔をしていることは分かるのだが、職務質問等を受けることは無かった。その理由として考えられるのは、1年生の上着は詰襟の学生服であり、頭にはヘルメットではなくて学帽を被っていたからであろうと思われる。大きな頭陀袋にヘルメットをくくりつけてなんだか不審な連中だが、ヘルメットと覆面で顔を隠して学生運動をやっている連中とは明らかに異なっている。どう見てもデモや打ち壊しをやる様子はないから放っておこう、と言った感じで見ていたのではないだろうか。
現在ではアメラグと言う言葉は死語と化しているようだが、その当時はアメリカン・ラグビーを略してアメラグと呼ばれるのが一般的であった。知っている者から見れば全く違うよと言いたいのであるが、似たようなボールを使ってタックルをするゲームである、と言う理由だけでアメラグと呼ばれていたのではないかと思われる。
同じクラスでラグビーをやっている者もいたのだが、ある時「ヘルメットも無しに良くタックルが出来るなあ」と話しかけたことがある。私にすれば頭を保護するヘルメット無しにタックルをするなんて、恐ろしくて出来ないことなのであるが、彼の返事は全く予想外のものであった。
「アメラグはあんな硬い物でタックルされて何とも無いのかい」
なるほど、言われてみればその通りである。ヘルメットを被らないラグビーでは肩からのタックルであり、スピードもフットボールに劣る。硬いヘルメットで生身の体にぶつかってくるアメラグは、彼にとっては恐ろしいものに思えたのかもしれない。
実際怪我人の発生率を見れば、ラグビーではタックルした方、フットボールではタックルされた方が多いものと思われる。昔のアメリカではヘルメット無しで死人まで出ているようだが、私としてはヘルメットが出来てからの時代にプレー出来たことは有難いことだと思っている。