昔の人間の昔話(5)

試合中も特訓だ!恐怖の脚力養成ユニフォーム   by Fresh Down

東海大学のユニフォームも今ではすっかり定着しているが、当初のデザインは当然のことながら現在の物とは違っていた。初めて試合を行った時のユニフォームについては知らないのだが、上が緑で下が白だったと聞いている。

 私が入った年にはそのユニフォームは練習用として使われていたが、どう見てもそれは既製の市販品としか見えなかった。勿論既製品であっても背番号を着け、紛らわしいデザインでなければユニフォームとして通用する。OBの支援も無ければ大学からの予算も僅かであっただろうから、専用のユニフォームとして発注するほどの余裕は無かったものと推察される。

 2年目となるシーズンのユニフォームはヘルメットも含めて濃紺で統一されており、それぞれに白い線が2本入っていた。ボンズは外側に縦に2本入っていたのだが、ジャージに関しては袖に沿ってやはり縦に入っていたのか、それとも袖の先端にリング状に入っていたのかはっきりとは覚えていない。多分後者だったかと思うのだが、当時のジャージは殆どのチームが長袖であり、創部間もない東海大学も当然長袖であった。

 長袖のジャージであるから、肘や腕に装備するパッドは無かった。肘に関しては丸いパッドのような物が付いた汎用のサポーターを着けている人もいたが、ジャージの下なので見ただけでは分からない。ジャージだけでは転び方によっては肘をすりむくこともあったが、この程度の傷は他のスポーツでもあり得ることであり、怪我という認識は全く存在しなかった。

 長袖ジャージの最大の欠点はと言えば、ボールを抱えた時に滑りやすいと言うことであろうか。勿論しっかりと抱えていればタックルされてもファンブルはしないはずであるが、確率的には素肌の場合よりも増すものと思われる。材質は耐久性に優れているナイロンかと思われるが、全般的に化学繊維は天然繊維に比べると滑りやすいと言って良いだろう。

 長袖ジャージは半袖に比べれば幾分かつかみ易いので、いわゆる「ジャージタックル」を受け易いと言えるかも知れない。まあ胴の部分に比べれば袖の部分は僅かな面積であるから、ジャージタックルの成果が著しく増す訳ではないが、どうもあのジャージタックルと言うものは気分の良いものではない。真正面から勢い良くぶつかってくるタックルの方が体への負担は大きいはずであるが、精神的にはジャージタックルで止められる方が気分が悪い。

 公式戦もシーズン初めには暑い日の試合もあったが、長袖だからと言って暑いと感じるようなことは無かった。半袖に慣れた今の人から見ると長袖では暑いと思われるかもしれないが、夏合宿も含めていつも長袖で練習しているのだから、炎天下でも何でもないことである。

 ボンズの方は外見は特に変わった点は無いのだが、履いてみるとこれがなかなかの曲者であった。こちらも材質はナイロンではないかと思われるのだが、脚をピタッと締め付けるような感じになるのである。

 気になったので調べてみたらこの「ボンズ」という言葉は現在では使われていないようで、普通に「フットボールパンツ」と呼んでいるようだが、ここでは昔のままに「ボンズ」と呼んでいくことにする。

 最近のNFL中継を見ていると、タイツのようにぴったりとしたボンズをはいているのが目に付く。昔ながらの生地では走る上で大きな障害になるだろうが、繊維技術の発達によって伸縮性や通気性に優れた生地が開発されているので、殆ど抵抗を受けることなく走ることが出来るのだろう。しかし残念ながら当時の繊維技術では夢物語の話であり、脚にぴったりとしたボンズでは膝を曲げ難くなるのは当然の結果と言えるかもしれない。

 プロ野球のユニフォームを見ても分かるが、昔のズボンはだぶだぶとしたものだった。伸縮性に劣る生地を使った場合には、脚の寸法よりもかなり大きくして余裕を持たせなければならない。登山等で使われるニッカーボッカーや昔の忍者袴もゆったりとしたものであるし、実際練習で使っていたボンズはだぶだぶではないがある程度の余裕があり、走っていて脚が締め付けられるような感じになることはなかった。

 さて、この試合用ボンズの最大の特徴は、膝を曲げても直ぐに真直ぐに戻ろうとする性質があることである。どのような繊維だったのかは知らないが、今風に言うならば形状記憶合金ならぬ形状記憶繊維と言ったところであろうか。膝を曲げてもボンズが直ぐに戻ろうとするのだから、足の負担は大変なものである。某アニメで「大リーグボール養成ギブス」と言うのがあったが、これは「脚力養成ボンズ」と呼んでも良いような代物であった。

 脚力の養成は必要なことではあるが、試合ではやはり走りやすいのに越したことは無い。言うなれば試合中も脚力養成の特訓をやっているようなもので、気にしないようにしても何等かの影響はあったのではないかと思っている。いずれにしてもこの試合用のボンズよりも、練習用の薄汚いよれよれのボンズの方が走り易かったことは確かである。

 しかしそんなボンズだから私の足が更に遅くなったと言うつもりは無い、と思いつつもやはり恨みの残るボンズではあった。それにしてもそんなブレーキ付きのようなボンズをものともせず、走りまくっていたFBのSさんのパワーには恐れ入る。

 正直言って恨み重なるボンズではあったが、洗濯すると汚れが簡単に落ちるのは大きな利点であった。これは繊維の性質あるいは織り方に起因しているものと思われるが、やはり洗濯が簡単なことよりも動き易さに勝るユニフォームの方が良かった。卒業後広島で社会人チーム、関東ではシルバーオックスでプレーしたこともあったが、その時でも「脚力養成」とは縁の無いボンズであった。

 現在ではあのような繊維で作られたボンズは無いだろうし、今後もお目にかかることは無いだろう。とすれば、当時は貴重なユニフォームを着て試合をしていたということになるのだろうか???