昔の人間の昔話(7)

塩の塊をかじり、水をがぶ飲み~平塚での夏合宿   by Fresh Down

 

 夏休みを利用した合宿は何処の学校でも行っていることと思うが、暑い盛りなので涼しい場所に行って行う学校が多いのではないかと推測する。しかしそのためには経済的な負担も大きくなる訳で、生まれたてでよちよち歩きのフットボール部にとっては厳しい状況であった。

 最も安上がりと考えられるのは大学構内で行うことで、1号館の教室に寝泊りして合宿を行うこととなった。大学への支払いがどの程度になったのかは知らないが、民間の合宿所を借りるよりは遥かに安かったであろうし、合宿所までの交通費も節約できることになる。

 教室内では机を全部後方に寄せ、上級生は面一になった机の上に寝て、下級生はそのまま床に寝ると言う生活だった。合宿所の場合には小部屋に分散して寝泊りするところが多いかと思うが、大学での合宿は広い教室で全員が一緒に生活することになる。今の人の感覚からは息苦しくなるのではないかと思われるかもしれないが、生活面で苦痛を感じた記憶は無い。あるいは昼間の練習で疲れ切っているので、気にする余裕は無かったのかもしれないのだが。教室を利用しての合宿は高校等でも行われているが、平地での暑さを気にしなければそんなに悪いものではない。

 合宿所の場合には風呂が併設されているのが普通だが、当然1号館の中には風呂もシャワーも無い。結局体育館のシャワーを使うことになるのだが、疲れた身ではあの距離は結構長いものに感じられた。それでも汗と泥にまみれた体であるから、シャワーを浴びずに寝ると言うことは無かった。湯船に浸かった方が疲れは取れるのかもしれないが、シャワーしかないのだから仕方ない。
 食事に関しては満足できるものではなかったが、限られた予算でやりくりしてくれたのだから私らが口出しすることではない。もちろんOBは皆無の時代であるから、差し入れがあるわけでもない。しかしこうした苦労は、出来たばかりのサークルでは何処でも経験しているのではないかと思う。

 練習そのものは何時も通りの総合グラウンドで行うことになるが、やはり平地だけに暑さは相当なものである。OBとなって10数年振りに現役の練習風景を見た時のことだが、この暑さの中で防具をつけての練習は「こりゃあクレイジーだ!」と感じたものである。自分がやっている時にはきつくてもそれが当然と思っていたのだが、それは普段の練習の延長線上にあったためと言うことだろうか。

 とは言え午前午後と2回に亘る練習の運動量は相当なものであり、それに伴う発汗量は並大抵なものではなかった。現在では激しい運動をやる時には小刻みに水分を取りながら、と指導されているようだが、当時はそのような思想は全く無い時代であった。練習の途中で水を飲まない代わりに、練習が終わった後はひしゃくで水をがぶ飲みすることが常だった。現在に比べれば遥かに長時間水を飲まないで練習していたわけだが、水分補給の間隔は人それぞれ異なっていて当然で、共通して最適の間隔というものがある訳ではない。

 途中で水を飲まない練習法は単なる根性論ではなく、試合になってからその有益性を実感することになる。選手層が薄くて攻守双方に出ているのだから、現在のように途中で休憩することは出来ない。当時はぶっ込み50分ハーフと言う試合時間が殆どであったが、その間は水を飲まないで出続けるだけの体力が無ければならない。勿論怪我人の発生等でタイムアウトが取られることはあったが、その都度水を飲んだと言う記憶は無い。

 余談になるが、戦時中に作られた「ハワイ・マレー沖海戦」と言う映画に興味深いシーンがある。休暇で田舎に帰った海軍士官が、暑い陽射しの中を水を飲まないで歩き続けていた。一緒に歩いていた小学生が不審に思って理由を尋ねると、「戦闘が始まれば何時間も水を飲めない状況もありうる。その時のためにこうして訓練しているのだ」と答えた。映画とは言え十分に有り得る話だし、昔の忍者も長時間水を飲まない訓練をしていたと言う記事を読んだこともある。生物としてみた場合には、それだけ原始的と言うことになるのかもしれないが。

 運動をして汗をかくと水分と同時に塩分も失われることは当時でも知られていた。その塩分の補充は通常の食事だけでは到底補えるものではなく、食事とは別に取り込む必要があった。食事の味付けを濃いものにすることも一案かもしれないが、最も手っ取り早いのは塩そのものを食べてしまえば良い訳である。今の時代から見れば乱暴な話かもしれないが、当時は何の疑問も無く塩の塊をかじり、水をがぶ飲みしてやりくりしていたのである。直接塩の塊を口に入れてもしょっぱいと感じることは無く、美味いとは言わないけれど何とも無かったのだから、やはり体が塩分を欲していたのだろう。

 またまた余談になってしまうが、職場でも大量に汗をかく所では塩が用意されていたそうである。現在では機械化が進んでそういう職場は殆ど無いことと思うが、70年代の造船所では現場にごま塩の小袋が置かれていた。自動販売機にスポーツ飲料が入っていたかどうかは不明だが、ごま塩を口に入れている人を見かけたことは無かった。手軽に水以外の飲料が手に入る時代であるから、もう運動部でも職場でも、塩の塊をかじって水をがぶ飲みする光景が見られることはないだろう。

 現在では各種のスポーツ飲料が販売されており、特に夏場には運動時以外でもよく飲まれているようである。そのスポーツ飲料の草分けであるゲータレードがアメリカで発売されたのは1967年だそうだから、68年の合宿時にはまだ日本には持ち込まれていないはずである。ゲータレードの噂を耳にしたのが何時だったかは覚えていないが、仮に日本で販売されていたとしても、輸入品で高価であっただろうから我々には無縁のものであった。ただ、アメリカにはすごい物があるもんだ、と漠然とした気持ちで感心したことは覚えている。

 合宿の一日は本当に長く感じられるものである。夏で昼が長いから余計にそう感じられるのかもしれないが、寝たと思ったらもう練習の時間になってしまうのは不思議なものである。高校時代の柔道の合宿でも同じような思いをしたものだが、集団でやっているからこそ可能な練習であり、どんなに意志が強くても一人ではとても出来るものではない。辛うじて付いて行くだけであっても、終わる頃にはそれなりの体力が付いていたのであろう。

 1年の時の合宿は初めてであると共に校舎に寝泊りしての生活であり、やはり一番印象に残っている。一つだけ欲を言えば、平地なので暑いのは仕方ないことなのだが、食事がもっと美味ければ良かったのだが・・・