昔の人間の昔話(11)

怪我は痛い、でももっと痛いのは・・・   by Fresh Down

 

フットボールに怪我は付き物、と言うのは昔の話のようで、現在ではなるべく怪我の無いように用具が改善され、ルールも改正されているようである。不要な怪我を無くすためには歓迎すべきことではあるが、昔の人間にとっては生温いと感じることも多々あることと思われる。

昔は試合後の感想はと言えば、「今日の試合は救急車が来なかったのお。つまらない試合だった」な~んて会話が珍しくは無かった。なんてえのは半分冗談ではあるが、半分だけ冗談ということは・・・半分は本気ということになる訳である。実際には九分九厘冗談だったろうが、現在より怪我が多かったことは間違いないと思う。

現在でも試合中に怪我が発生することは避けられないが、昔の人間から見ると「そんなの怪我じゃねえ」と言うようなものが結構見られる。もちろん遠くから見ているので詳細はわからないが、自分自身の経験から状況は結構わかるものである。しかしNFLでも怪我は減らそうという方向に進んでいるし、他のスポーツでも怪我対策には気を使っているようである。好き好んで怪我をする人間はいないだろうし、安心してプレーできるのは良いことであろう。

とは言っても、怪我を恐れていたのではフットボールは始まらない。怪我を恐れてタックルをビビッているようではフットボールはやらないほうが良い。そして意外と言うのか当然と言うのか、得てして怪我をするのはビビッて中途半端なプレーをした時に起こりがちなものである。外から見たら激しいタックルであっても、気合が入っていれば全身の筋肉が働いているので、案外怪我はしないものである。

その典型的な例を、卒業後の広島での社会人リーグで経験した。膝の辺りを狙って体側をぶつけていくサイドブロックは現在では禁止されているようだが、接触する範囲が広いのでオープンフィールドでは極めて有効なブロックであった。体が水平になるので場合によっては上を飛び越されてしまう欠点はあるが、相手の動きをしっかりと見据えておけばその可能性も少ない。小さな力で大きな人間をもブロックできるのも魅力の一つである。

その時のブロックはそんなサイドブロックの典型的な成功例であり、当たった瞬間に大成功であることを確信した。当った時の衝撃は殆ど無く、相手の体は完全に消えていたから、恐らく空中に舞い上がっていたに違いない。もちろん詳細はブロックした本人には分からないものであるが、成功を確信して体の緊張が一気に解れてしまったようだ。

サイドブロックが成功して半回転した体の上に、空中に舞い上がったであろう相手の体が落ちてきたのである。自分より大きな人間が落ちてきたとしても、運動エネルギーとしては大したことは無いはずである。問題は私の体が完全に無防備な状態になっていたことであり、防御の上でも大きな役割を担う筋肉が弛み切っていたので、その衝撃で息が出来ない状態になってしまったのである。唸り声をあげながら吐くことは出来るのだが息を吸うことが出来ないので、酸欠状態に陥って死ぬ思いをしたプレーであった。ボクサーはボディブローを打たれても直ちにダウンしてしまうことは無いが、これは打たれる瞬間に筋肉に力が入るからであり、完全に奇襲攻撃で打たれれば一発でダウンしてしまうはずである。

一般的にスポーツ選手と怪我の関係をみた場合、最も多いのは膝の故障であろう。フィールドを走り回るスポーツは勿論、大相撲等の格闘技でも膝の故障に泣かされる人は多い。フットボールの場合、特にバックスではタックルを受けることに加えて急激な方向転換を強いられるため、どうしても膝への負担は大きくなってしまう。それにしても同じく下肢の関節でありながら、踝の故障と言うのはあまり聞かないのは何故であろうか。

スポーツ医療が高度に発達しているNFLにおいては、怪我をしても信じられないくらいの短時間で試合に復帰している。これは本人の努力も当然のことであろうが、やはりシステムとしてチームの戦力を保って行こうと言う、大きな戦略によって培われたものであると言っても良いだろう。更に言えば戦時において兵士あるいは艦艇等の迅速な戦場復帰にも通じるものであり、この点に関してはわが国は極めて遅れていると言わざるを得ない。

膝の痛みというと、俗に水が溜まると言う症状がよく話題になるが、私の現役時代でも水を抜くという技術は確立していたようである。しかしそのための医療費は高額であったようで、貧乏学生には無縁の治療法であった。私も1年の秋のシーズンの終わり頃にその症状が発生し、1週間ほど練習を休ませてもらったことがある。秦野の病院に行って治療はしたのだが、水を抜くという高額な治療は行うことが出来なかった。怪我をして本当に痛いのは怪我そのものよりも、高額の治療費であったと言っても過言ではない生活であった。

バックスの場合、膝と共に多い怪我は手の指ではないだろうか。突き指は日常的なもので怪我のうちには入らず、スパイクで踏みつけられて骨にひびが入ったり、肉が抉り取られるようなこともあった。しかし当時は指の怪我くらいで休むような人間はいなかったと思う。監督に言えば即ベンチということになるだろうが、それは怪我よりも恐ろしいことである。学生時代の限られた数の試合である。試合に出られずして何のための練習であろうか。即ベンチもまた、怪我よりも痛いことの一つであった。尤もそのツケは指の変形という形で後々まで残ってしまうことになるが、生活に支障を生じるほどのものではない。

後遺症は無いが困った怪我の一つは、3年の時の日大戦での右肘の怪我である。プレーはフルバックの右へのオープン、私はフランカーに出てエンドを取る役目だった。エンドよりも外側の位置から内側にブロックすることになるので、最初の一撃は難しいことではない。しかし問題はエンドを抑えている時間で、フルバックが走り抜けるまでエンドの動きを封じておくのは困難なことであった。その時はとっさの判断で右腕で相手の足を抱え込んでしまったのだが、これはものの見事に決まって完全に相手を倒すことが出来、かなりのゲインとなったはずである。

私は殆ど反則をした記憶は無いのだが、この時は反則も時として有効なものになり得ると妙に感心したものである。プロレスの試合ではないが、見つからなければ反則も有効な手段、という風潮があったのは否定できないことである。現在に比べれば審判の数も少なかったし、春のオープン戦なので審判も厳密なものではなかったとも思われるのだが・・・

試合では有効であったホールディングだが、腕と脚の力の差は歴然としており、私の肘関節は伸びたままとなってしまった。試合後の医者の診断では肘の靭帯が伸びてしまったとのことだったが、痛みはそれほど感じなかったので試合はそのまま続行した。怪我をしたのは前半の終わり頃であるが、監督に言えば即ベンチということになるので、後半戦もそのまま黙って試合を続けていたのである。肘が曲がらないのでパスキャッチには支障があるが、パスの苦手な私は幸か不幸かターゲットになることはなく、ブロックやタックルはいつも通りこなしていたから、誰も私が怪我をしているとは思わなかっのでは無いだろうか。

試合はそのまま最後まで続けられたし、最終戦だったので次は夏合宿まで練習も無い。回復に必要な時間は十分にあったのでフットボールには支障なかったが、学業の方では苦労することになった。左手もある程度は使えたので下手ながらも文字を書くことは出来たのだが、図面を書くためにはやはり両腕の協力が必要となる。特に造船関係の図面は大きいので、何とか工夫して右手も使わないことには線を引くことが出来なかった。

体をぶつけ合うスポーツでは打撲傷は避けがたいものであるが、この点に関しては私は幸運であった。親戚に接骨医がおり、独自の湿布薬を貰っていたのである。それは緑色の粉末で、酢で練って患部に貼り付けるものだった。酢を使うので臭いがきついと言う欠点はあったが、市販品よりも遥かに良く効いた。

現在は長男が接骨院を継いでいるが、今ではその緑色の湿布薬は使っていないし、作り方は知らないという。高校の同級生で接骨胃をしている者もいるが、やはり緑色の湿布薬は見たことが無いという。あるいは叔父が独自に調合した湿布薬だったのかも知れないが、私にとっては医療費の軽減にも繋がる、極めて有益な湿布薬であった。