昔の人間の昔話(3)

防具は防ぐのみに非ず  by Fresh Down

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ヘルメットと共にフットボールを象徴するものと言えば、やはり防具と言うことになるだろう。
尤も一般的に知られているものと限定するならば、残念ながらショルダーパットに限定されてしまうかも知れないが・・・
ショルダーはヘルメットの次に目立つ位置にあるし、外観からもすぐにその存在が分かるためであろう。
ただしショルダーパットは防具であると共に攻撃にも使われることに関しては、経験者か一部のマニアにしか知られていないものと思われる。
「防」具なのに攻撃にも使われる???
知らないと不思議に思われるかもしれないが、この点に関しては後述する。

フットボールが攻撃側と守備側に分かれていることに関しては、テレビ中継も増えてきたので一般にも知られるようになってきた。
しかし本当に面白いのは、実は攻撃は防禦であり、守備は攻撃であると言うことであろう。
攻撃側が能動的に点を取りに行く事に関しては確かに攻撃であるのだが、そのためにはQBもしくはボールキャリアを守らなければならない。
逆に守備側の任務はと言えば、攻撃側のボール保持者をめがけて攻撃すればよいのである。
チームとしては守備と言う立場にあっても、個人的には守備側の選手こそ自由に攻撃できるのがフットボールの特徴であると言うことが出来よう。
それ故タックル命と考えている者にとっては、守備に生きがいを感じているものも多々いるはずである。
私自身もタックルをやりたいがためにフットボールを始めたようなものだから、攻撃よりは守備の時の方が気合が入ったものである。

防具の種類に関しては、昔に比べるとだいぶ増えているようだ。
創部当時の防具はと言えばショルダーの他に、腰と太腿と膝にあっただけである。
個人的には胸や肘に装備している者もいたが、ボールの購入にも不自由している貧乏クラブでは無縁のものであった。
肘に関しては長袖のユニフォームであったこともあり、着けている者は少なかったのではないだろうか。
尤も一般的な肘用のサポーターでも役には立つので、それを着用していた者はかなりいたかもしれない。
テーピングに関してはその名前すら聞いたことが無いという時代であったし、マウスピースもまた無縁のものであった。
現在ではポジションによってショルダーパットには色々と種類があるようだが、当時はライン用とバック用とで多少の違いがある程度のものだった。
キッカーというポジションは無かったし、QBでも守備の時にはセーフティとなって有力な守備要員となるのが普通であった。
セーフティであるからNFLのキッカーのような甘いタックルは許されず、他のディフェンスバックと何ら変わりは無かったのである。

さて、丸々と太ったフットボールらしくないボールまで使用し、亀裂の入ったヘルメットを修復して使っていた時代であるから、防具だっておいそれとは破棄処分には
ならない。
激しい当たりを繰り返す割にはショルダーは丈夫であったし、ニーパットなどは破れ始めても普段と変わらない感覚で使っていた。
意外と痛み易かったのはヒップバッドを連結しているベルトで、破れ始めたら補強して使ってはいるのだが、やはり応急修理では破損を防ぐには至らなかった。
ベルトが切れてしまったらヒップパッドを締めることは出来ないし、ボンズ(死語かな?)で押さえつけても走れば直ぐに落ちてしまう。
現在なら使用不能に思えるかも知れないが、当時の人間はしぶといのでそんなことでは降参しない。
縫い合わせるのが不可能であるならば、荒縄を持ってきてヒップパット全体を腰に縛り付けてしまえば固定することが出来る。
見た目は物乞いのような姿になってしまうのだが、ボンズを履いてしまえば外からはそう簡単には分からない。
当時でもヒップパットの着用は規則で義務付けられていたと思うから、審判に見つかれば危険だからと試合では使わせてもらえなかったかも知れない。
しかし審判にしてもまさかそんなことをしているとは思わないだろうから、外観だけで荒縄パッドを見抜くことは出来なかったに違いない。
荒縄でヒップパッドを縛りつけた姿は無骨そのものであり、何かの映画に出てきた野武士を髣髴させるものであった。
物が豊富になった現在では想像も出来ないだろうから、荒縄パッドも本当に昔話になってしまった感がする。
それにしても平然として荒縄パッドを装着していたガードのI君、妙にそれが様になっていたから大したものである。

冒頭でショルダーパットは攻撃にも使われると述べたが、このことについて少し説明しておこう。
攻撃側の選手はQBなどを守るのが任務ではあるかが、そのために守備側の選手をブロックすることは正に攻撃であるということが出来る。
ただし言うまでも無く手を使うことが出来ないので、肩から大きく張り出したパットがブロックを援助してくれることになる。
これがなで肩のパッドであったならば、ブロックの成功する確率は極端に低くなってしまうことだろう。
格闘技系の漫画などでよくこのショルダーパッドを着けている姿を見ることがあるが、防禦だけのためであるならば張り出しは邪魔にはなっても役に立つことは無い。
防禦だけを考えれば中世ヨーロッパの鎧のようになで肩にした方が、軽く作れるし隙間が無いので防禦性能はずっと勝っているのである。
外観だけからフットボールのショルダーパットが優れた防具であると思われているとすれば、まだまだフットボールの本当の姿が世間一般には知られていないということなのかもしれない。

最後にこれは秘密にしておくべきことなのかも知れないが、もう40年以上が経過したので公表しても良いだろう。
2年の時のオープン戦、小田急沿線での専修大学との試合の後だったと記憶している。
試合を終えて同じクラスでもあった同級生のN君と一緒に歩いていると、「これは内緒なんだけど」と言って彼が静かに話し始めた。
「実は僕、今日パッド忘れちゃったんだ」と言う話から始まり、「しょうがないから教科書を入れていたんだ」と話は進んだ。
彼の話によればサイパッドとニーパッドを忘れてしまい、その4箇所に入る大きさの教科書を入れてパッドの代用としていたらしい。
確かに週刊誌では入らないし、新聞紙では幾ら重ねてもパッドとしては心許ない。
今ならばパッドの予備は試合場にも持参していると思うが、当時はパッドが余っていたとしても予備を持参するような役割の人間はいなかった。
第一大事なパッドを忘れたなんて上級生に申告したら、どんなにどやされるか分かったものではない。
彼も色々と考え抜いた挙句、教科書を代用すると言う迷案にたどり着いたのだろう。

九州は宮崎出身のN君は、皆から「日向ボケ」と言われるほどのんびりとした人物であった。
そんな彼でも窮地に追い込まれれば、このような想像も出来ない非常手段が浮かんでくるのだろう。
私も話を聞くまでは全く知らなかったし、仲間内でも気が付いた人間はいなかったはずである。
では教科書はパッドの代用品として機能したのかと言えば、彼は怪我もせずに試合を終えたのだから一応は成功したと言うことが出来よう。
ただし教科書パッドの使い心地を尋ねたところ、彼の話では「走り難かった」とのことであった。
確かに硬ければよいサイパッドなら問題ないだろうが、ニーパッドの場合には曲がらないだろうから走り難かったはずである。
まあしかし走り難い程度で試合を終えたのなら教科書パッドは大成功と言うことになるのであるが、ここで私には新たな疑問が発生した。
彼は間違いなく「走り難かった」と言ったのだが、私はセンターの彼が走っている姿をあまり見たことが無いのである。
「走る」ことの定義では両足が同時に地面から離れれば良いらしいが、彼の両足が同時に地面から離れた瞬間を見た記憶が無いのである。
私の目にはN君の走りは「早めに歩いている」と言う印象しかなかったのである。
とは言え彼自身が走ったと思っているのであれば、誰が何と言おうが走っていたのに違いない。

なおN君とは3年になったら一緒に清水校舎に行く予定だったのだが、残念ながら彼は留年してしまって一人で清水に行く羽目になってしまった。
その後彼はフットボールを辞めることになってしまったのだが、これが教科書の祟りであったかどうかは不明である。
現在では予備のパッドも用意してあるだろうから、絶対に教科書を代用するなと後輩には忠告しておきたい。