昔の人間の昔話(1)

君は妊娠ボールを知っているか? by Fresh Down

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一昨年の春、新しく出来たグラウンドを初めて訪れてみたが、当然のことながら昔に比べれば立派なものだ。
盛り土のために乾燥しやすいように見受けられるが、石ころだらけだった昔のグラウンドよりは遥かに上等なものである。
練習の様子を見るとともにグラウンドの周囲も歩いてみたのだが、片隅に置かれていたかごの中には信じられないくらい沢山のボールが入っていた。
フットボールの練習をやっているのだからボールがあるのは当たり前、には違いないのだが、昔はこれほど沢山のボールがあろうはずも無く、数個しかないボールはとても貴重なものだったのである。

ボールに触れるのも?十年振りになるのだが、懐かしいので手にとってしみじみと眺めてみた。
ボールは殆どがローリング製だったと思うが、昔もローリングとウイルソンしかなかったと記憶している。
大学から部費が支給されていたかどうかは知らないが、出来たばかりの同好会では支給されたとしてもごく僅かな額であったことだろう。
まだ1ドルが360円の時代だったから、輸入物のボールが沢山買えるはずはない。
輸入される絶対数も少なかったであろうし、それを有力校が持って行ってしまえば新参の大学にまでは回ってこなくなる。
ボールを大事にするのは試合中ばかりでなく、練習でも大切に扱って使用後の手入れは怠らなかった。
その後徐々にではあるがフットボールが広まるに連れ、安価な国産のボールも作られるようになった。
とは言ってもそれは私が卒業してから数年後の話であり、在校中は十分な数のボールで練習することは出来なかった。
日本のボール製造技術はなかなかのもので、バスケットボールでは国産球が国際試合の公式球に採用されていると聞いたことがある。
フットボールは一般的な球形のボールとは違うので、製造に当たっては独自のノウハウがあるものと思われる。
似ているようでもラグビーボールと比べると両端がより尖っており、片手でパスを投げる時の握り易さが問題となってくる。
現在は為替レートが当時の3割程度となっているので、輸入価格は大幅に下がっていることと思われる。
大量に製造される本場の品質の良いボールが安く入ってくれば、国産品が対抗できるとは思えない。
気になったのでネット検索で調べてみたら、ミカサボールでは現在でもゴム製の安価なフットボールを作っていた。
勿論公式球として使うことは出来ないが、フットボールの普及と言うことを考えれば有難いことだと思う。
子供のうちからフットボールに親しんでもらえれば、選手も観客も増えることになるのだから。

さて、数少ないボールはどうしたら有効に使うことが出来るだろうか。
まずは試合用として良好な状態のボールを一つ確保しておかなければならない。
現在に比べればパスプレーの少ない時代ではあったが、良いパスを投げるためには持ち易いボールでなければならない。
ラグビーボールのように膨らんでいたり、表面が擦り減ってツルツルになっていたのでは思うように投げられない。
試合用のボールをまずは確保し、残りのボールも程度に応じてそれぞれ使い道が異なってくる。
楕円形のボールは球形のボールとは異なり、直径の小さい方を押し広げようと圧力が働く。
簡単に言えばその力はボールを球形にしようとするものであるり、スマートだったボールもだんだんと肥満形になってくる。
人間も歳を取ってくると肥満気味、所謂メタボ体型になってくるものだが、それと同じようなものと思ってもよいだろう。
今風に言うならばメタボのボール、即ちメタボール(と言う言葉は無かったが)になっしまっても、人間界同様容易には隠居することは出来ない。
ランプレーなら特に大きな問題とはならないし、パントリターンの練習でも大活躍である。
ボールの構造は内部に気密性のゴム製のボールがあり、摩耗に弱いゴムの外側を4枚の皮で保護すると共に形状を保持している。
外側の皮は当然縫い合わせてあるが、中にゴムボールを入れるために一部は開けておかなければならない。
その開口部を最後に革紐で締めて完成であるが、この部分がパスを投げる場合には大いに役立つことになる。
しかしパスには有意義であっても構造的には一番弱い所でもあるので、長年使っていると縫い目が緩んでくることになる。
更に症状が進めば中のゴムが飛び出すことにもなるし、飛び出さないまでもいびつな形状のボールとなってしまうのである。

このいびつな形のボールは、誰が名付けたのかは知らないが妊娠ボールと呼ばれていた。
単に丸みを帯びているだけのメタボールとは異なり、妊娠ボールの場合には回転軸に対して非対称な形状となってしまう。
つまりボールの重心位置が中心線からずれることになり、空気抵抗の中心もまたずれることになる。
と言うことはスピンをかけて真っ直ぐに進むはずのボールも、どう乱れて飛ぶか分からないと言うことになる。
剛腕で鳴らしたファーヴにしてもダン・マリーノにしても、妊娠ボールでは正確なパスを投げることは不可能であると思われる。
ランプレーで持って走るにしても、超メタボなのでラグビーのような持ち方で走らねばならないことになる。
いや、持つと言うよりは抱きかかえると言った方が適切であるかもしれない。
では妊娠ボールは使いようがないのかと言えば、どっこい昔の人間にとってはまだまだ大事なボールなのである。
パントリターンでは十分に使えるし、ファンブルリカバーの練習ならば全く問題ない。
いびつな形状のボールは新品よりも不規則に跳ねるだろうから、かえってリカバー練習には向いていると言えないこともない。
どんなに貧相なボールであってもボールはボール、球技はボールがなければ始まらないのである。

人間の思いはさておき、ボールにしてみればどんな心持であっただろうか。
まだまだこき使うのかよー、もう引退させてくれよー、と思っていただろうか。
それとも、こんなオイラでも最後まで使ってくれて有難うさん、と思っていただろうか。
多分私は後者であろうと思っているのだが、そんな妊娠ボールも今後は出現することは無いだろう。

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