昔の人間の昔話(13)
我はフットボール部なり~酒飲み部には非ず by Fresh Down
フットボールをやろうとして入った東海大学ではあるが、入部の申し込みに当っては一つだけ心配なことがあった。私大の運動部は練習がきついだけでなく、新入生は酒を強要されると言うイメージがあったのだ。未成年の飲酒云々という建前上の問題ではなく、現実問題としてどう対処するかを考えておかなければならない問題であったのだ。
私は体質的に酒が体に合わない。父はかなりの飲兵衛だったが、祖父が殆ど飲めなかったので隔世遺伝ということになるようだ。「練習すれば飲めるようになる」と言う輩もいるが、練習が必要なことは他に幾らでもある。酒を飲むためではなく、フットボールをやるために入部するのであり、必要なのはフットボールの練習なのである。
入学して最初の日曜日だったろうか、新入生を確保するために多くのサークルが道路脇に机を並べていた。フットボールのブースを見つけて恐る恐る「酒は飲めないのですが」と尋ねると、あっさりと「ああ、いいよ」と言う答えが返ってきた。余りにも拍子抜けした感じだったので、腹の中では「本当だろうか」といぶかしく思っていたのであるが、書類に名前を書いて手続きを終えた。もし約束に反して酒を強要されたとしたら、場合によっては一戦を交えることになるかもしれないと言う覚悟もあったのである。
春先には大学での新入生歓迎会で飲酒による死亡事故が発生することも珍しくはないが、意外なのは運動部よりも文化系のサークルの方が多いように見受けられることである。上下関係ということに関しては運動部の方が厳しいと思うのだが、けじめがしっかりとしていると言うことだろうか。残念なことにフットボールでも新入生の歓迎会で飲酒死亡事故を起こし、廃部となってしまった大学もあるが、彼らの目的はフットボールをやることではなく、ただ飲み仲間が欲しかっただけなのではないだろうか。
アメリカンフットボール同好会は、前回も述べたように当時としては非常に垢抜けしていた運動部であることは間違いないと思う。名前に「アメリカ」が付いているためではないだろうが、アメリカ的思想の良い所が出ているように感じられるのである。フットボールをやりたくて新たに同好会を作ったのであり、酒を飲むために作った同好会ではない、この点をはっきりと認識していたのである。飲むのも自由だが飲まないのも自由、肝心なのはフットボールの練習をして強くなることなのである。
東海大学フットボール同好会の場合、新入生の歓迎会というものは無かった。普段は練習が終われば暗くなるし、疲れた体は一刻も早く帰って休養し、翌日のために体力を回復しなければならない。日曜日は監督もやってきて通常よりも激しい練習を行うので、これまた歓迎会どころではない。その代わりと言うわけではないだろうが、春のシーズンが終わった後で納会と言うべきものがあった。
学校の直ぐ裏手にあった施設で行ったのだが、入部時の約束通り飲酒を強要されることは全く無かった。欧米人のパーティーでも酒は付き物であるが、日本人の酔っ払いのように「まあまあ一杯」と絡んでくることは無い。流石は「アメリカン」フットボール同好会、日本の習慣にとらわれない垢抜けした運動部であった。
新入生で飲まないのは私一人だけだったと思うが、酒が回ってくるとフットボールよりも宴会芸の方が得意ではないかと思われる者もいた。QBのH君もその一人で、どこで何時覚えたのかは知らないが、素人離れしたその出し物の印象は今でも鮮明に残っている。こんな芸達者な人間の後でなにかやれと言われたら困る、と心配していたのだが、酒同様こちらも強要されることはなかった。H君は監督が期待していたQBだったし、素人だった私たちの目から見ても「こいつはやるなァ」と言う感じがしたものである。しかし残念なことに秋のシーズンが始まると、いつの間にかいなくなってしまった。
家庭の都合で辞めなければならない者もいた。茅ヶ崎から通っていたガードのT君は、シーズン途中から都合が悪くなったようだが、春のシーズンが終わるまでと説得されてフットボールを続け、この納会を最後に去って行った。こうして去る者がいれば、秋のシーズンから練習に参加すると言うことで出席していた者もいた。その中の一人に、どうにも理解できない摩訶不思議な人間がいた。
その男に会ったのは納会の時が初めてであるし、その後は会っていないので名前は知らないし、顔も覚えていない。秋のシーズンから部員になる、すなわち夏合宿の練習時から参加すると言うことだったのだが、一度も顔を見せたことは無かった。細身の体で身長もそれほど高くは無かったので、こりゃあバックスの競争も激しくなるな、と思っていたのだが、フットボールとは無縁の人間だったようである。
そんな人間なのにどうして今でも覚えているのかと言うと、宴会芸にかけては実に巧みな人間だったからである。先に紹介したH君の芸も素人離れしていたが、この男の芸はプロの幇間かと思わせるようなものであり、宴会としては盛り上げてくれた功労者であったと言えるかもしれない。私としてはどうにも理解できない人間だったのだが、いくら当時の東海大学の周囲に田畑や野原が多かったとはいえ、酒好きの狸がやってきて飲み食いしていったのではないだろう。狸がいたことは紛れも無い事実だったのだが・・・
新入生の飲酒死亡事故が原因で廃部となってしまった大学もあるが、気になったので東海大学はどうなのか訊いてみたことがある。幸い創部時の理念は今でも生きているようで、飲まない人間は数人いるが、上級生が飲酒を強要することはないとのことだった。フットボール部はアメリカン・フットボールをやりたい人間の集団であり、酒を飲みたいだけの人間の集団ではない。今後もこの方針を貫いていって欲しいものである。