昔の人間の昔話(12)

体育会の集会~ひたすら低姿勢で   by Fresh Down

 

現在の体育会の所属団体は全て○○部となっているようだが、私が入学した当時はアメリカンフットボール「部」ではなく、アメリカンフットボール「同好会」であった。「部」ではなくて「同好会」という名称から受ける印象は、好きな者同士が集まって和気藹々と楽しむ集団、というものではないだろうか。

 そもそも私が東海大学を受験しようと思ったのは、造船関係の学科があることと、アメリカンフットボールが出来ることであった。当時この二つの条件を満たしていたのは、東京大学と東海大学の2校だけであった。東大は到底無理なので東海を受けることになったのだが、やはりこの「同好会」という名称が気になって仕方なかった。フットボールをやりたくて入学しても、遊び半分でやるようでは時間の無駄になってしまうからだ。受験のための入学案内には体育系ではないが、△△「愛好会」という名称のサークルもあったが、「愛好会」よりは「同好会」の方が真剣味があるように思われたので受験することにしたのである。

 いざ入学入部して実際に練習に参加してみると、それは単なる同好者の集まりではなく、紛れも無く運動部としての同好会であった。当時の体育会に所属する団体は4つの階層に分かれており、上位から順に公認部・準公認部・同好会・準同好会と呼ばれていた。生まれたばかりのアメリカンフットボールは最下層の準同好会に属するので、フットボール「部」とは名乗れなかったものと思われる。

 体育会の組織についての詳しいことは知らないが、執行部のようなものがあって毎日会合が開かれていた。開始時刻は理科系の授業が終わる4時10分を少し回った頃かと記憶しているが、毎日この時間に出席するためには理科系の人間で無ければならない。私が専攻する船舶工学科は海洋学部という東海大学独自の学部に属していたが、理科系ということで授業が早めに終わるため、体育会の集会に出席することになってしまった。気は進まないが誰かが行かなければならないものであり、体育会への印象を悪くすることだけは避けなければならない。

 集会では最初に点呼が取られ、公認部から順に名前が呼ばれていく。準同好会に属していたのは4組の同好会で、一番最後にニッケン(日本拳法)ソーテイ(漕艇)アメラグ(アメリカ式ラグビーの省略形)○○(何部だったか忘れた)と呼ばれていく。漕艇部とはどちらが先だったか記憶が曖昧であるが、漕艇を代表して出席していたのは同じクラスの人間であり、やはり嫌々ながら来ているようだった。

 集会では最初に体育会からの伝達事項が伝えられ、その後各部からの要望や連絡事項が発表されるのだが、末端の準同好会の面々はひたすら静聴するだけだった。とは言っても我がアメラグ同好会に対しては執行部からのお叱りが多々あったので、多数の冷たい視線に耐えなければならなかった。

 執行部からの小言で最も多かったのは、アメラグの人間は体育会の役員に挨拶しない、と言うものだった。当時の体育会の人間は詰襟の学生服を着用しており、襟の部分に体育会のバッジを着けることになっていた(らしい)。そのバッジの色が体育会の役員では白色となってたかと記憶しているが、それは一般の体育会の人間とは異なる色になっていた。そしてその白いバッジを着けた人間に出会ったら、「チワッ」でも「オスッ」でも良いから、立ち止まって挨拶をしろと言うのである。

 当時はどの大学でも同じだったのではないかと思うが、体育会と言うと何かしら「封建的」と言うイメージが拭い切れなかった。更に東海大学の場合は武道系のクラブが力を持っていたような印象があるのだが、アメリカ的で開放感のあるアメリカンフットボール部はその対極にあったと言っても良いだろう。練習の始まる前に体育会からの通達事項として挨拶のことを伝えてはいたのだが、どう見ても実行すると言う雰囲気ではなかった。

 体育会の集会では「アメラグは挨拶しない」といつも私ばかりが狙い撃ちされていたが、果たして他の部の人間はきちんと挨拶していたのだろうか。体育会のバッジはそんなに大きなものではなかったから、目の悪い人間は相当近付かなければ判別することが出来ない。敬礼にうるさい昔の陸軍では階級章はもっと大きいし、どちらから見ても直ぐに分かるよう襟の両側に着けている。挨拶を強要するのであれば分かり易く大きな表示をしてもらいたいと思っていたのだが、それを口に出来るような状況ではなかった。

 体育会の集会では何かと執行部から苦情を言われ、うんざりしていたのだがこれにはもう一つ理由があった。あるいはこちらの方が重要であり、それが原因となって執行部に睨まれることになったのかもしれない。

 当時の部室は西側の塀際に建てられたブロックの建物の中にあり、中央の道路との間には現在と同様テニスコートがあった。テニス部の練習方法の詳しいことは知らないが、一般的なランニングや筋トレ、そしてフォームの練習などが終われば、後はコートで実際にボールを打ち合っての実戦的な練習になるのではないだろうか。そうなるとコートの数は限られているので、下級生はコート外での見学、あるいは球拾いと言うことになるのだろう。

 見学とは言っても、ただボケッーと突っ立っている訳には行かない。ファイトー、ファイトーと声を出して応援しているのだが、同じ掛け声であっても我々の感覚からすると気合が抜けているように感じられてしまうのである。このコートが女子専用だったのかどうかは知らないが、聞こえてくるのは女性の声ばかりだった。勿論彼女らにすれば懸命に声を出していたのだろうけれど、フットボールの面々にとっては拍子抜けしてしまう掛け声だったのである。

 と、まあ、これだけで済めば何でも無かったのだが、その後がいけなかった。一部の部員であるが部室で防具に着替える前、デカパンにシャツだけでテニスコートに近付き、彼女らの声を真似て「ファイトー、ファイトー」と声援(?)しているのである。その先鋒は同級生のH君だったが、彼の物真似は見事と言えば見事なものであった。H君にすれば軽い気持ちで声を出していたのだろうけれど、現在だったらセクハラとも取られかねない行為であり、やはりテニス部の女子にとっても不快極まりない行為だったのであろう。現場での直接の抗議は無かったが、体育会と言う組織を通じてのフットボール同好会への忠告となり、集会の中でアメラグはけしからんと何度も小言を言われることとなったのである。

 体育会の執行部にしても私が一年生であることは承知しており、最下級生に文句を言ってもことが解決しないことは分かっていたはずである。恐らく主将の方にも連絡は行っていたことと思うが、他の学生にも知らせておくために集会でも公表したのであろう。この点に関しては明らかに我々に非があるので、ひたすら謝っておくことしか出来なかった。

 こらあ、熊本のH、お主のお陰で苦労したんだぞーーーっ!!!